thornhillさんが運営しているこのブログについて、どうかかわっていったらよいのだろう。
thornhillさんは古い友人で、昔からお世話になっているから、今回のお誘いには喜んでお受けした。
しかし、僕自身、なにを書いていいかわからないし、とりあえず自らが別のブログで書いたものを転載してみました。
ほかの人は何か書くのかな?
このまま2つ、記事を掲載したまま停滞しているというのは、ちょっと問題があると思います。
複数のライターが参加するブログ、というものの特性がもっと良くわかった段階まで待ってみたいと思うけど、このままでは、いわゆる「塩漬け」になりかねませんよ。
本来ならばコメントなどに書くべきところですが、投稿したほうが、このブログがどういう方向で進んでいくのか、いかないのか、また継続的に運営できるのか、どうか、等がわかると思い、書いてみました。
もし、失礼な表現がありましたら深くお詫び申し上げます。
この投稿については、どう処理するか運営者のご判断にお任せしたいと思います。
2008年12月2日火曜日
松平さんのことなど
以下、mixi内、吾妻虎太郎の日記からの転載です。
インターネットでデジタルラジオのことを調べていたら、思いがけない人の名前を発見しました。
これはデジタルラジオ推進協会のサイトで、語り手は川村龍一さん。
1970年代初めのFMラジオの思い出を語っていらっしゃってて、FM大阪開局時、「ビートオンプラザ」という番組を立ち上げたのが、川村さんで、なんと2代目のDJが松平維秋さんだったと知って、ちょっと驚きました。
http://www.d-radio.or.jp/what/p06.html
数年前に松平さんの追悼本が出てたけど、それにはこのことは書いてあるのかな?
ビートオンプラザで検索したら、ウィキペディアにはなかったようですが、この番組を愛した方々のあついメッセージをみつけることができました。
ほぼ同じころ、東京では、FM東海が、FM東京となり、日本公演のライブ録音とか、番組用の無料コンサートを企画していて、楽しい時代だった。
たしか、土曜か日曜日に、ヤマハ提供の「新着輸入盤紹介」みたいな番組があり、DJは森直也さんで、よく聞いていました。"Rock of Ages”を初めて聴いたのもこの番組。1971年か2年くらいだったっけ。
はなしをもとに戻します。
わたしが書きたいのは、松平さんのことです。
松平さんは渋い音楽評論家で、70年代、彼の影響を受けた音楽ファンは、確実にいましたね。そして渋谷のブラックホークのブースでレコードを廻していた。
彼のファンは、シンガー&ソングライターとかスワンプロック、それに英国トラッドなどのカテゴリーを聞く人たちでした。
はじめて彼の文章を読んだのは、かなり古い「ニューミュージックマガジン」、ほとんどサリンジャーのような文体で、ロックのことを書いていたなあ。
「ニューミュージックマガジン」では、本格的なトラッドの記事も書いていた。
「話の特集」では、わたしの友人が参加していたミニコミ「ミュニオン」のことを紹介してくれた。
当時、ミュニオンのライターは全員高校生だった(と思った)
いま思い起すと、当時(そして今も)、多くのロックファンや評論家が、彼らの好む音楽の中に、ある種の情緒的な幻想を抱いていた(いる)ように思いますが、松平さんは、同じ傾向の音楽を扱いながらも、そうした情緒的なアプローチとは、あきらかに一線を画すスタンスをとっていたように思います。
くわしくは書けないけど、敢えて表現すれば、松平さんのことを「聴くことにおけるリアリスト」とでもいったらいいのかな。
とにかく、(オーディオとしてではなくて)聴く事にこだわっている、という印象が強い人でした。
松平さんは、渋谷のブラックホークで、ひたすら我が道を行く、といった感じで、シンガー&ソングライターや、スワンプロック、トラッドのアルバムをかけていた。
その反動かもしれないけど、松平さんが辞めたあとのブラックホークは、じょじょに経営方針の転換をしていった。
松平さんはその後フリーの編集者になり、ほとんど文章を書かなくなりましたが、実はその編集者時代、わたしは知り合いの紹介で、松平さんにお目にかかることができたのでした。
たぶん1980年ころかな。
その知り合いが水道橋に新しく輸入レコード屋を開店したので、挨拶にいったら、「うちの近くに松平さんの仕事場があるんだよ」
ということで、松平さんにお会いしに行ったというわけです。
いろいろ下世話なことも含め、世間話をしたのですが、トラッドのことを質問したら、「とにかくジョセフ・テイラーを聞いたほうがよい」、とアドバイスしてくれました。
ジョセフ・テイラーは、こういう人です。
http://www.informatik.uni-hamburg.de/~zierke/joseph.taylor/
おそらく、はじめてレコーディングをした民謡歌手で、彼が取り上げた曲は、たしか"No Roses" にも収録されています。
http://en.wikipedia.org/wiki/No_Roses
後年、わたしは彼のアルバムを入手して、松平さんのいわんとすることがなんとなくわかったような気になりました。
その後、彼の編集者としてのお仕事について、いろいろお噂をうかがいましたが、1990年代、南青山、いまはなき「サルパラダイス」で、DJイベントにゲストで参加されたのが最後となりました。
残念ながら、わたしは行けませんでしたが、「サルパラダイス」のマスターがブラックホークの常連で、懇意だったことから実現したそうです。
そして、その次に聞いた噂が、彼の死、という悲報だったのです。
松平さんの文章はここで読む事ができます(青空文庫)。
http://gaku2003.hp.infoseek.co.jp/AOZORA/MATSUDAIRA.html
やっぱり文体は相変わらずサリンジャーの翻訳からの影響が伺えるなあ。
そして、やっぱり、彼が、聴く事の前提とか原則を必死になって考えている、ということが伝わってくるような文章が、確実に、ここにあります。
20世紀の末期日本に、そんなひとりの音楽ライターがいた、というお話でした。
インターネットでデジタルラジオのことを調べていたら、思いがけない人の名前を発見しました。
これはデジタルラジオ推進協会のサイトで、語り手は川村龍一さん。
1970年代初めのFMラジオの思い出を語っていらっしゃってて、FM大阪開局時、「ビートオンプラザ」という番組を立ち上げたのが、川村さんで、なんと2代目のDJが松平維秋さんだったと知って、ちょっと驚きました。
http://www.d-radio.or.jp/what/p06.html
数年前に松平さんの追悼本が出てたけど、それにはこのことは書いてあるのかな?
ビートオンプラザで検索したら、ウィキペディアにはなかったようですが、この番組を愛した方々のあついメッセージをみつけることができました。
ほぼ同じころ、東京では、FM東海が、FM東京となり、日本公演のライブ録音とか、番組用の無料コンサートを企画していて、楽しい時代だった。
たしか、土曜か日曜日に、ヤマハ提供の「新着輸入盤紹介」みたいな番組があり、DJは森直也さんで、よく聞いていました。"Rock of Ages”を初めて聴いたのもこの番組。1971年か2年くらいだったっけ。
はなしをもとに戻します。
わたしが書きたいのは、松平さんのことです。
松平さんは渋い音楽評論家で、70年代、彼の影響を受けた音楽ファンは、確実にいましたね。そして渋谷のブラックホークのブースでレコードを廻していた。
彼のファンは、シンガー&ソングライターとかスワンプロック、それに英国トラッドなどのカテゴリーを聞く人たちでした。
はじめて彼の文章を読んだのは、かなり古い「ニューミュージックマガジン」、ほとんどサリンジャーのような文体で、ロックのことを書いていたなあ。
「ニューミュージックマガジン」では、本格的なトラッドの記事も書いていた。
「話の特集」では、わたしの友人が参加していたミニコミ「ミュニオン」のことを紹介してくれた。
当時、ミュニオンのライターは全員高校生だった(と思った)
いま思い起すと、当時(そして今も)、多くのロックファンや評論家が、彼らの好む音楽の中に、ある種の情緒的な幻想を抱いていた(いる)ように思いますが、松平さんは、同じ傾向の音楽を扱いながらも、そうした情緒的なアプローチとは、あきらかに一線を画すスタンスをとっていたように思います。
くわしくは書けないけど、敢えて表現すれば、松平さんのことを「聴くことにおけるリアリスト」とでもいったらいいのかな。
とにかく、(オーディオとしてではなくて)聴く事にこだわっている、という印象が強い人でした。
松平さんは、渋谷のブラックホークで、ひたすら我が道を行く、といった感じで、シンガー&ソングライターや、スワンプロック、トラッドのアルバムをかけていた。
その反動かもしれないけど、松平さんが辞めたあとのブラックホークは、じょじょに経営方針の転換をしていった。
松平さんはその後フリーの編集者になり、ほとんど文章を書かなくなりましたが、実はその編集者時代、わたしは知り合いの紹介で、松平さんにお目にかかることができたのでした。
たぶん1980年ころかな。
その知り合いが水道橋に新しく輸入レコード屋を開店したので、挨拶にいったら、「うちの近くに松平さんの仕事場があるんだよ」
ということで、松平さんにお会いしに行ったというわけです。
いろいろ下世話なことも含め、世間話をしたのですが、トラッドのことを質問したら、「とにかくジョセフ・テイラーを聞いたほうがよい」、とアドバイスしてくれました。
ジョセフ・テイラーは、こういう人です。
http://www.informatik.uni-hamburg.de/~zierke/joseph.taylor/
おそらく、はじめてレコーディングをした民謡歌手で、彼が取り上げた曲は、たしか"No Roses" にも収録されています。
http://en.wikipedia.org/wiki/No_Roses
後年、わたしは彼のアルバムを入手して、松平さんのいわんとすることがなんとなくわかったような気になりました。
その後、彼の編集者としてのお仕事について、いろいろお噂をうかがいましたが、1990年代、南青山、いまはなき「サルパラダイス」で、DJイベントにゲストで参加されたのが最後となりました。
残念ながら、わたしは行けませんでしたが、「サルパラダイス」のマスターがブラックホークの常連で、懇意だったことから実現したそうです。
そして、その次に聞いた噂が、彼の死、という悲報だったのです。
松平さんの文章はここで読む事ができます(青空文庫)。
http://gaku2003.hp.infoseek.co.jp/AOZORA/MATSUDAIRA.html
やっぱり文体は相変わらずサリンジャーの翻訳からの影響が伺えるなあ。
そして、やっぱり、彼が、聴く事の前提とか原則を必死になって考えている、ということが伝わってくるような文章が、確実に、ここにあります。
20世紀の末期日本に、そんなひとりの音楽ライターがいた、というお話でした。
2008年11月27日木曜日
King Cole Trio 1943
Beautiful Moons Ago (Cole-Moore)1943
キング・コール・トリオのバラードで最も好きな唄。 第1次レコーディング・ストライキ (1942.8-1943.10)最中の1943年3月1日、マイナー・レーベルの Excelsior (エクセルシャー)での吹込み。 Decca (デッカ、1940-1941)録音から Capitol (キャピトル、1943-1965)録音の端境期にあたる。
リチャード・ロジャース作曲の『ラヴァー』を想起させるような曲中の小洒落た転調に幻惑させられる。それでいて小難しさは微塵もなく、同トリオの他の傑作バラード(Decca の“This Will Make You Laugh” や Capitol の“Embraceable You” など定型的かつ古典的なコード進行の曲)と同様 intimate な耳触りで夢見心地にしてくれる。
ながらく作詞・作曲者クレジットのない仏Classics 盤 CD で聴いてきたせいで、この文章を書くまで不覚にもオリジナル曲であることを知らなかった。コールとギタリストのオスカー・ムーアの共作だとは。2人の共作といえばインスト曲などはあったが、唄モノは珍しいはず。歌詞と曲のラフ・スケッチをコールが担当し、コード進行・アレンジ・メロディの手直しをムーアが受け持ったと推測するがどうだろう。この曲を特別のものにしているのは、ムーアのモダンなコード感覚を内包しているせいかもしれないと妄想している。
タイトルの Beautiful Moons Ago をどのように訳したらよいか窮するが、ポエジー溢れるフレーズだ。 『月光価千金』Get Out and Get Under The Moon に習って、『月光照千悔』てのはどうだろうか。 ダサダサ? 詩か小説がネタ元ではないかという気もするがわからない。
この曲をカヴァーしているのがギタリストのバーニー・ケッセルやピアニストのベニー・グリーンなど器楽奏者ばかりで、歌ってるのはカーメン・マクレーとジョン・ピザレリぐらいとはもったいない。
試聴する
キング・コール・トリオのバラードで最も好きな唄。 第1次レコーディング・ストライキ (1942.8-1943.10)最中の1943年3月1日、マイナー・レーベルの Excelsior (エクセルシャー)での吹込み。 Decca (デッカ、1940-1941)録音から Capitol (キャピトル、1943-1965)録音の端境期にあたる。
リチャード・ロジャース作曲の『ラヴァー』を想起させるような曲中の小洒落た転調に幻惑させられる。それでいて小難しさは微塵もなく、同トリオの他の傑作バラード(Decca の“This Will Make You Laugh” や Capitol の“Embraceable You” など定型的かつ古典的なコード進行の曲)と同様 intimate な耳触りで夢見心地にしてくれる。
ながらく作詞・作曲者クレジットのない仏Classics 盤 CD で聴いてきたせいで、この文章を書くまで不覚にもオリジナル曲であることを知らなかった。コールとギタリストのオスカー・ムーアの共作だとは。2人の共作といえばインスト曲などはあったが、唄モノは珍しいはず。歌詞と曲のラフ・スケッチをコールが担当し、コード進行・アレンジ・メロディの手直しをムーアが受け持ったと推測するがどうだろう。この曲を特別のものにしているのは、ムーアのモダンなコード感覚を内包しているせいかもしれないと妄想している。
タイトルの Beautiful Moons Ago をどのように訳したらよいか窮するが、ポエジー溢れるフレーズだ。 『月光価千金』Get Out and Get Under The Moon に習って、『月光照千悔』てのはどうだろうか。 ダサダサ? 詩か小説がネタ元ではないかという気もするがわからない。
この曲をカヴァーしているのがギタリストのバーニー・ケッセルやピアニストのベニー・グリーンなど器楽奏者ばかりで、歌ってるのはカーメン・マクレーとジョン・ピザレリぐらいとはもったいない。
試聴する
ラベル:
1940s,
M: Oscar Moore,
MG: Jazz,
MG: US Pop,
N: USA,
S: Nat King Cole
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